ここあん便り

お盆、今昔

お盆だというのに、仏さん以外だ〜れも帰って来ないのを良いことに
ダラーン、ゴロゴロ…テレビを友として過ごしております。

お盆初日朝、ようやく仏壇を整え、赤飯、煮しめ(根菜の煮物、厚揚げ、刻み昆布…)、酢の物、迎え団子を供える。
来客あるかも、と、仏間にゆるめのエアコンつけておくが、どなたも来ず、気づけば、なんたること!
生花やお供えにアリの行列。
アリさんには悪いけど、お盆ゆえ殺生は禁物なのに、シュッ、シュッ!(○ンチョール)にてお帰り頂く。

夕刻、実家の墓参りにひとり米子へ。
我が家のお墓は、前夕既に準備万端整えておいたので、ジイジに任せる。
実家も我が家も「火灯し」という役目がある。
灯籠に灯をともすのだ。
お盆の間、毎日通う火灯しは、年々増す暑さとの戦いであり、いかに短時間で終えるかという、効率重視のミッションになっている。

子どもの頃、陽が落ち、暗くなってから浴衣に下駄履きで火灯しに出かけたことを思い出す。
お寺からの帰り道、必ず何処か親戚の家へ、仏さん拝みに立ち寄る。
どこの家も仏壇の周りに盆提灯がずらりと並び、色鮮やかな回り灯籠から部屋中に、蓮の花や水面が色とりどりに映し出され、切子灯籠から長く下がった短冊が扇風機の風で揺れていた。
私はスイカをよばれながら、大人の会話を傍らで聞いていた。

当時、火灯しは男の仕事だったのだろう。
父親に連れられて出かけるのが常だった。
そう言えば、お墓の石灯籠には今のような扉はなく、風よけの和紙を貼り付けたりしていたなあ。
石灯籠のない墓も多くあって、簡易の灯籠(金属製?)をこの時期だけ差し込んで使っていた記憶もある。

今、コップロウソクは燃焼時間6時間〜8時間のものが主流なので、昼間に火灯しを済ませたとしても、夜まで充分持つ。
だから暗くなるのを待って出かける必要もないのだが、子どもの頃、灯りのともされたお墓の中を人々が行き交っていた風景が懐かしい。
灯籠の明かりと線香の煙、人々の声、足音…。

あ〜あ、色々なことが簡略化されたことを歓迎しつつも、寂しさを感じるばあさんである。
横着せず、芋ぼたでもこしらえるとするか。