8月6日、私たちは77回目の広島原爆の日を迎えました。
子どもの頃から、テレビで広島平和式典を見続けていますが、核兵器の問題を自分事として意識できるようになったのは、ある方の話を聞いてからです。
8月6日、広島に住む赤ちゃんと母親は暑い夏の日の朝を迎えていました。
そして、核兵器の被害に遭うのです。
1歳の赤ちゃんは、朝からどういうわけか機嫌が悪く、母親を手こずらせていました。
その声は外へも聞こえていたでしょう、いつも一緒にあそぶ隣家の母親が心配して声を掛けます。
「どうしたんかねえ〜、めずらしく機嫌が悪いねえ〜」
朝から暑いこともあるから、裏へ出て同い年の娘と一緒に過ごせば機嫌も直るのでは、と親子を誘ったそうです。
家の裏へ出て過ごすふた組の母子。
ほどなく人類初の原爆投下、けれど母子たちは大きな塀の影で、光線をまともに受けることを免れ、ともに傷ひとつ負うことはありませんでした。
ご近所に住んでいた同い年の赤ちゃんと母親、ふた組の母子の被爆体験。
共に塀の裏側で被爆したお友達(赤ちゃん)はその後若くして亡くなったそうです。
赤ちゃんに記憶はありませんので、母親から伝え聞いた話をもとに語られる話は、被爆という体験がその後の生き方、人生に及ぼした影響、とりわけ日々の暮らしに対する真摯な向き合い方が伝わり、心に深く残りました。
この話を聞いてから、「原爆」と言う言葉を耳にする度、塀の影に佇むふた組の母子を思うようになりました。
母子ばかりではありません。
その日、そこに暮らしていたひとり一人の命、その瞬間を、その後の人生をより身近に感じるようになりました。
ロシアのウクライナ侵攻に付随する世界の不穏な動きが「戦争」という人間の愚かさを突きつける現実となって忍び寄ってきます。
考えれば考えるほど憂鬱な気持ちになるけれど、非力でも、「平和」を願い続けることを諦めてはいけませんね。