先週金曜の早朝、長老さまは静かに旅立っていきました。
今日でちょうど7日、初七日になります。自宅で転倒、入院、手術、リハビリ…コロナ禍で家族と直接会うことのできなかった5ヵ月最愛の孫二人に許された面会の翌朝あっけなく逝ってしまいました。享年98歳、大往生です。当地では、ご長寿を全うした人のご葬儀で会葬御礼にキャラメルを配ります。長老さまの遺言「私が死んだときは、チョコにしてごいて!」を守れず(この暑さですから)ごめん・・・。平成元年、義父が亡くなり始まった同居生活日々の暮らしを共にしながら晩年、折に触れて「私が死んだときは・・・」といくつもの「遺言」を託されてきました。息子の成人式、家族で撮った記念写真を気に入って「遺影は、これにしてごいて!」冗談交じりの会話の中で演歌好きだからご葬儀の演奏は坂本冬美かな?「いんや、千の風がええな!!」義父を見送った後、何年もかけてお遍路にでていただいた御朱印の数々、身につけていた法被など「忘れずに棺に入れてごいてよ」「葬(葬儀のこと)を知らせるのはなあ、従兄弟まで」遺言通り、葬は知らせたけれど、コロナ警報発令中につきやむなく家族だけで見送ることにしました。夫に、一体いつそんな遺言を聞いていたのかと不思議がられたけれど長老さまが、息子でなく、嫁の私に託したものそこに「信頼」が存在していたことを今さらですが、感じるのです。ああ、私は、素直に感謝したり、優しく接することの出来ないあまのじゃくな嫁でした。入院から5ヵ月、家に連れ帰って介護する自信がなくて寂しい思いをさせたことが心残りでならなかったけれどそれ以前、ひとつ屋根の下で暮らした日々曲がりなりにも長老さまの晩年を支えてきた私をちょっとだけ誇らしく思えたのは託された「遺言」のお陰かな?「おっきいばあば、お帰りなさい!」ひ孫たちの声が響く我が家に帰ってきた長老さまにただただ、黙って手を合わせる毎日です。そろそろ、お仕事モードに戻らねば、と思います。