ここあん便り

若き親たちへ (2)親と子どもの境界線

子どもの言うことをよくきいてやること、思いを受け止めてやることはとても大切だ。
けれどそこで重要なのは「子どものいいなり」になったり、親の方が振り回されてしまうようではいけないという。
子どもがどんなに可愛く大切な存在であっても、生活の主導権は大人にあり、大人と子どもの間には明確な境界線があること、それを忘れちゃいけないって思う。
私にも憶えがある。長男との向き合い方と次男との向き合い方では、大きな違いがあった。
その当時は意識しなかったけれど、振り返ってみて気づいた。
長男には、まるで友人にでも接するように、日々のあれこれを聞いていた。例えば、「今夜、晩ご飯何にしようか」とか、たわいもないことを家の中にいる唯一の話し相手に向かって問い続けるようにして過ごしていた。
2才児であっても、会話の相手になり、ときに「○○がいいんじゃない」などとご近所のママ友なみの返事を返してくれたりもして、ある種、同等のつきあいとでも言うような関係だったと思う。
友達同士のような会話が良いとか悪いとか、そんなことは分からない。けれど、家庭に入り、社会と隔絶され希薄な人間関係しかもたない若い母親に、ある種頼りにされて過ごす幼い人たちの心理ってどうなのかしら?と、幼かった息子に申し訳ない気持ちになるのは事実だ。
では次男に対しては?というと、相手は「子ども」だという意識が明確で、相談相手などにはしなかった。
私自身も地域の中で話し相手ができ、他のお子さんたちとも接する機会が増えたこともあり、母子カプセル状態から抜け出して、子どもを「同士」としてでなく「子ども」として接することができるようになったからではないかしら。
で、二人の息子たちがどう育ったかと言うと、子どもらしい次男の姿を見て、「え、こんなのあり?こんなことしてもいいんだね」みたいな気づきがあったのか、4才児は1才児と一緒にめちゃくちゃをやり出し、急激に子どもらしくなっていった。
それでもやはり、長男にはつい日々の様々な相談ごとを今でもしてしまうんだなあ。どうしてだろう。

母子カプセル状態でないとしても、ときに子どもを対等に扱いすぎる傾向が、近頃多く見受けられるように思う。
親に命令するお子さん。
親ばかりでなく、大人の言うことを聞けないお子さん。
こうしたことは、親と子どもの境界線がないから起こるのではなかろうか。
子どもの頃、「大人の話に首を突っ込むんじゃない」とか「これは大人が決めること」など、度々言い聞かされた。
子どもには子どもの社会があり、大人との境界線がはっきりしていた。
子どもからすると、理不尽に思うこともあったけれど、「子ども」であることのつまらなさを感じつつも、大人になることの楽しみ(期待)が心の中に育っていったと思う。
親は、家庭の中で主導権を持ち、良いこといけないことを教えつつ、一定のルールの中で子どもが子どもらしく過ごせることを保障してやらねばならない。

親と子どもの境界線。このことを、あえて意識する必要があるのではなかろうか。