「おむつなし育児の会」を開催できぬまま2ヵ月が過ぎました。
お子さんのおむつトラブル、排泄にまつわるお困りごとなどありませんか?
「おむつなし育児」と言うと、おむつを使わない育児?とか
紙おむつを使わない育児?とか、誤ったイメージを持たれがちですが、そうではありません。
「おむつに頼りすぎない育児」というのが実際に正しい表現であり、おむつを外した開放空間で排泄をさせることを暮らしの中で意識すること、自然で心地よい排泄を目指す育児のことです。
出来る時に出来る形で構いません。
寝起きに、おむつを開いて解放空間をつくってあげる。
オマルに腰掛けさせてみる。
「うんちかな?」そういうとき、やり手水(やりちょうず)でささげてみる。
排泄があってもなくても、そうした試みを続けておくことに意味がある。
私はそう思っています。
我が家の4番目の孫の話です。
一緒に暮らしているわけでは無いので、遊びに来たときしか関わってやれないのですが、赤ちゃんの頃から時折オマルに座らせるように声かけしてきました。
「座るのは嫌いじゃないみたいですが、全然出ない…」と親たちは言っていましたが、ある時、オシッコが出たのです。
「あれ!もしかして、出てる?すごい!感動の瞬間を目撃しているんだー」とはじめてのオマルキャッチに大興奮。
その孫は今2歳1ヵ月、おむつはまだ外れていませんが、オマルに座って排泄できるようになりました。(既におむつに出てしまった後でも、チョロチョロっと出すことが出来るので、コントロールができつつあるのを感じます)
また、赤ちゃん期から「うんちはオマルで」と言い続けてきたバアバに「力んでいる途中に座らせると、引っ込んじゃう(うんちが)」とか、「オマルでは出ない」などと言い張っていた親たちでしたが、先日タイミング良くオマルに腰掛けさせると…、たっぷり一度に出し切ることができ、その現実(大量)を目の当たりにしてから、食事中であっても「オマルで一度に出し切る方が良いよね」とオマルに腰掛けさせるようになりました。(オマル!オマル!と、言い続けてきたことがやっと伝わった〜涙)
そもそもおむつは、誰のためのものでしょう?
赤ちゃんのためのものかな?
おむつを使わない民族もありますし、日本人も昭和の時代には2歳までにおむつを卒業するのが当たり前だったことを思うと、お喋りも出来、はっきりと自己主張できるお子さん達が、おむつの中で排泄し続けていることの不自然さをどう考えたら良いのかな?
おむつは、大人の都合で、お子さん達につけてもらっていることを、大人達が自覚することから始めてみませんか?
おむつに頼りすぎない子育ては誰にでも出来、親子双方にとって良いことづくめなんです。
ぜひ、お子さんに「心地よい排泄」を体験させてあげて欲しいと願っています。