ここあん便り

泣き止ませるためのスマホ

医師会主催のメディア講座が続き、地域の開業医さんの声を直接お聴きする機会ともなり、嬉しい限り。

先生方が、日々の診療で感じる小さな「?」は、私が想像していた以上で、子育て中の親にとって、困ったときにスマホ!は常識となってしまったのだな、と確信した。

例えば、泣き止ませるためのスマホ活用。
診療で吸入が必要な時、小さなお子さんは、どうしても泣いてしまう。
すると、保護者がすかさずスマホで動画(○○マンなど)をみせる。
すると、お子さんは、お口をポカンと開けて静かに吸入できる。

他にも色々とリアルな「子どもとスマホ」に関する現実を聴きながら、この現実をどう受け止め、子どもにとっての最善をどう伝えていくべきか、「本当にどうしたら良いのでしょうね」と言う以外、言葉を持たない私が情けなくて、講演後、考え続けている。

「泣き止ませるためのスマホ」
それは、いけないことなのか?そうだとしたら、その理由は何だろう。
吸入が終わればスマホは「終わり」になるから、楽しみを取り上げられて泣くことになるから?
うーん。

振り返ってみると確かに、息子たちも小さいとき、吸入を嫌がって泣いてた時期があった。
1,2歳の頃だろう。

私は泣く子をどうしてたかというと、膝に抱き抱えて、「すぐ終わるよ」とか「頑張ろう」とか声を掛けながら、泣く子の口をひたすら吸入器の方に向け続けて頑張ってたと記憶している。

確かその時医師からは、多少泣くのは構わない、ある程度はお薬届くはずだから…みたいな助言もあったように思う。
(症状によって、または激しく泣く場合は異なると思うけど)
だから、無理に泣き止ませようとは思わなかったし、そもそも泣く子を黙らせるなど、無理なことだと誰もが知っていたからね。

抱きかかえている時間は長く感じるけど、やがて終わる。
終われば、「終わったよ、お疲れさま、頑張ったね」と言って、抱っこしてなだめながら涙や鼻水でぐちょぐちょの顔を拭いてやったなあ。
あの頃、スマホがなくて良かった。あれば、私も使っていたかしらね。

そんなことを思いながら、ひとつ気づいた。
「泣かせちゃいけない」から「泣いて良いよ」の世の中にしなくちゃ!

「泣いて良いよ」は、親子の関係を強くするはず。
小さな子どもにとって嫌なことも、安心できる人の膝の上なら、泣きながらもちょっぴり安心。
嫌な時間に寄り添ってくれる大人を感じられることも、大きな意味を持つと思う。
怖いこと、嫌なことを大泣きしながらでも、乗り越えたあと、きっと大きな安心感に繋がる。

これが、嫌なこと、怖いことを、忘れさせる(目くらまし)道具の登場で、「ナイモノ」になったとしたら…。
もしかすると、親子で乗り越えるチャンスを失うことになる?

講座の後半、スライドの中に入れていた「泣いたらスマホ」ではなく「声かけ」をして、安心できる関係づくり。
このことを、子育て中の皆さんに実感していただくために、どうしたら良いかなあ。

またまた、宿題ですね。