ここあん便り

一歩前へ

ブログの更新もままならぬこの頃だったけど、ようやく、落ち着いてパソコンに向かえるようになった〜。
だいたい、いつもこの時期、そういった感じになる。
NPOの定期総会前、いつもの事業に加え、新たな事業が動き出す時期。
自宅のリフォームが重なったこともあって、落ち着かない日々がおよそひと月続いたかな。
家の中の片付けは未だ途中ではあるけど、片付け途中のものを一部屋に押し込んで、ひとまずスッキリと新しい暮らしを手に入れた。
ただし、私の心はごちゃごちゃと未整理の案件が「ごちゃまぜ」なのだ。

この時期、毎年(新緑の頃?)「何かやりたくなる病」を発病する私。
去年、おもちゃコンサルタントの養成講座に申し込んだ上に、知育玩具協会ベビートイ2級1級を取得を目指すという暴挙にでた己の計画性のなさを、今なら「無謀だ」と思えるけど、その時は「できる!できる!」と突き進んだ。

どうやら懲りない性分の私。今年もあれこれ同時進行で、”イケイケどんどん”な季節をやり過ごそうとしていたのだが、今回ばかりはちょっと違っていた。
さすがの私も思わず立ち止まってしまう「お誘い」が舞い込んできたのだ。
「え〜っ!」「どうするの〜?」傍若無人な私はどこへやら、チーン…一気にフリーズ。

思い悩んでSNSにぼそりとつぶやいたら、心優しき人たちが励ましのメッセージで私の背中を押してくれた。
「一体何をそんなに悩んでいるの?」幾人かのお友達は直接声を掛けてくれた。

私をフリーズさせたお誘いとは?
以前こっそり応募していた原稿を出版してみないか、という自費出版のお誘い。

出版、それは私がいつか叶えたいと願っていたことのひとつ。
7,8年前の夏、突如書きたい衝動に駆られ、原稿用紙250枚以上という懸賞小説に挑戦したのが始まり。
小説の書き方さえ知らず、兎に角原稿用紙をどんどん埋める感じで270枚ほど書いて、応募。
受賞するはずないのは当たり前、なのにドキドキしつつ発表の時を待ち、やがてしばしの傷心。
その後、性懲りも無くチャレンジし、昨年応募したのが「文芸社×毎日新聞 人生十人十色大賞」だった。
最終選考にでも残らないかなあ、とどこかで期待はするものの、期待すれば落胆も大きいので、応募したことさえ忘れておくことにし、やり過ごした。

そもそも誰にも読ませたことのない文章を幾度も投稿し続けたのはなぜだろう。
今回の「お誘い」を受けて改めて考えた。
書かずにはいられなかった人(実在)たちのことを、公にして良いのか。
私自身が書こうとした伝えようとしたことを、本当に表に出して良いの?
しかしそれ以上に恐れたのは、出版した本を、誰にも見向きされないことだ。
これまで自費出版を考えなかった理由はそこにあったのではないか?
身の程知らずを承知で言うならば、自費出版した本を知り合いに配ってしまったら、それで全て終わってしまうように思われた。
私が求めているのは、本にすること以前に作品に対する「評価」なのではないか…。

連れ合いに相談すると「そんな楽しそうなこと、なぜ悩む?皆に配ろう〜♪」
(内容については問われもせず…)
家族でさえ、作品自体に興味を持たないのだからなあ〜
(まあ、応援してくれるんだもの、ありがたいと理解しよう)
…で、結局私は、出版契約書にサインをし、一歩を踏み出すことにした。

幼い頃の私は、いつも誰かに守られ助けられて育った。
小学生時代などは、宿題や勉強など自らやった試しはなく、「遊ぶこと」が何より好きな、所謂”こどもらしいこども”だった。
そんな私も親になり子育てを始めると「良い親」になろうと努めたし「良い子」を育てようと必死になった。
あるとき、ふと思い出した。自分が親の願う良い子などではなかったことを。
そしたら一気に肩の力が抜けた。
自分に出来なかったことを、子どもに求めるなんて、ちゃんちゃら可笑しい。
何の取り柄もないこどもだった私でさえ、社会の中でちゃんと生きて来られたこと、そしてその生き抜く力の基となったのは、私を慈しんでくれた人々があってこそだと意識するようになった。
成績や日頃の行いで評価すれば、間違いなく劣等生の私に「根拠のない自信」を与えてくれた人々のことを、いつか書いてみたいと思うようになった。
中でも家族同様に暮らしていた、伯父と伯母の存在、隣近所との垣根のない付き合いが私という人間を形作る基になったであろうことは、年令を重ねる毎にはっきりと意識するようになっていたから。
だからそうしたことを、文章にすることで、誰もが「ありのままの自分」を好きになれたら良いなと願った。

伯父が亡くなって数年後に書いた文章に、その後見送った伯母の最期について書き加えた原稿は、結局選には残らなかったが、目にとめた希有な人がいたことで、今回の「お誘い」へと繋がった。
あまのじゃくな私が、私にとって初めての読者となった出版担当社の言葉を、素直に受け取ることにし、ついに覚悟を決めた。

つたない文章が、半年後、文庫本として世に出ることになる。
今なお、迷いの中にある私の新たな一歩もまた、皆さんに見守られているに違いないと、やはり根拠のない自信に助けられてのことである。