ここあん便り

スマホのある暮らし

私、鳥取県ケータイインターネット教育推進員という肩書きを持っておりますが・・・

時に、というか実は毎度「今、一体何を伝えるべきか」と苦悩します。
昨夜はメンバーの研修会へ出かけ(20年ぶりの境線に揺られて)ネットパトロールの報告やメンバーのミニプレゼンを聞いた。
ネットパトロール、私になど到底できない。
ネットの中の子どもをハラハラしながら見守り、必要な時は関係者に連絡をし事故(被害)を未然に防ぐ。
時間で区切れる仕事ではなく、一人で抱え込まぬようにしないと自らの生活にも支障をきたす。
誠に頭がさがります。
そして推進員のみんな、日々求めに応じ県内各地での講座、頑張っているなあ〜。
それにしても予想していたこととは言え、子どもの無防備なネットでの振る舞いにがっかりする。
どうしたものか。
顔出しはおろか、個人情報だだ漏れにして、なお、「見て〜」「反応して〜」と動画配信しているのを、親たちは知っているのだろうか。
もしかすると知っていても何とも思わぬのかもしれぬ。
・・・で、結局私たちは迷宮に迷い込んでしまうのだ。
「こんな危険なことをして!」と鼻息を荒くしている私たちの感覚が、もしかしておかしいのだろうか?と。
SNSでも感じることだが、情報発信は「文字」から「写真」に、更には「動画」が主流になりつつある。
誰でも情報の発信者になれる時代だからこそ、それに伴う「責任」について認識してほしい。
リテラシーがない故に自分はおろか他者までも危険にさらしたり、傷つけてしまうという現実を、一体どうやって伝えたら良いのだろう。
帰りの境線。
若者二人がスマホでそれぞれにゲーム?またはSNS?
互いの顔を見る(目を合わせる)ことはなく、画面を見、操作しながら時折会話。
駅で降りる時にはスマホを音楽プレーヤーに替え、素早くイヤホーンを装着。
彼らは24時間、こうしてテクノロジーを身にまとって暮らしているのだろう。
私などは何十年経っても、ガタンゴトンと揺られながら車窓から外をぼんやり眺めるだけだ。
もしスマホを持っていたとしたら、やはりそれを見つめて過ごすだろうか?
なんだか自分が世の中とかけ離れた価値観で生きていることを思い知らされるようだった。