ここあん便り

子どもの言葉

FBで、子どものいじめについての記事を目にした。

「しんでよね」「しね」と紙や机に書かれたりしたのだって。
「ある意味、子どもは残酷」などと言いますが・・・。
それはきっと、思ったことをストレートに口に出すことがあるからだろう。
「きらい!」「あっち行って」「もう、遊ばない」とか。
大人の目から見ると「そんな風に言わなくても」って感じることもある。
でもその言葉の裏側に「大好き」「一緒にいて」「遊びたいんだ」って感情があるってことは、ちゃんと分かっている。
「しんでよね」という言葉。
果たしてその言葉の裏側に、善意の感情が潜んでいただろうか?
言われた子どもの気持ちを思うと胸が痛くなる。
発した子どもの気持ちは・・・。
私にはどうしても理解することが出来ない。
けれど子どもを非難することもできない。
だって、言わせたのは大人なんだから。
人を攻撃する、傷つける、そのようなことをしてしまう子ども。
どうしてそうしてしまうのかを周りの大人こそが考えなければならない。
最も責任を負うべきは親。
学校や教育委員会が矢面に立たされるばかりで真実は見えない。
息子が低学年の頃の出来事。
持ち帰ったテストの答案に「バカ」と書かれているのを不思議に思い「これ、なあに?」と聞くと、「○○ちゃんが書いた」と言う。
聞けば、隣同士で交換して丸付けをしたらしく、間違いがあった息子の答案に「バカ」と記して返したのだと。
私はとてもショックを受けた。
「間違えるからって、バカじゃないよね。」
かろうじてそう言い、少し悲しげな息子の肩を抱いた。
よく知っている(ご両親共に)お子さんだった。
後にお母さんと出会うことがあり、その話を伝えると「そういう言葉使いたがるよね」とあっけらかんとしていて唖然としたのを覚えている。
物事の捉え方は人それぞれ、痛みの感じ方も違うことを突きつけられたようだった。
子どもは、傷つけたり傷つけられたり、嫌な思いをして学んでいくのだろう。
ひとまずその時はそう理解することにした。
20年以上経った今、振り返って思う。
子どもであっても、人を傷つけるような言葉を発してはいけないんだと。
その時々に諭し、過ちを認めさせるべきではないか。
小さな出来事だけど、その一件は私の中で解決されないまま今なお「不信感」というしこりとなって胸の奥に存在している。
子どもには、心が喜ぶ言葉をたくさん伝えよう。
人を嫌な気持ちにさせる言葉など、どこかへ葬り去ってしまうほど、美しい言葉を与えてあげたい。