幼い子どもが親に「ねえ、読んで」と絵本をねだるとき、「こっち見て」とおんなじだって誰かが言っていたけれど、ホントにそうだと思う。
「だっこして」とか「そばにいて」とか、「一緒に遊ぼう」・・・そういう気持ちでもあるのだろうね。
絵本を読むとき、親はやりかけていた全てをやめなきゃならないのだからね。
大好きなお母さん、お父さんを独占できる時間。
「ねえ、読んで」はその時間を求める声だと思う。
一方で、親以外の人に「ねえ、読んで」とねだることもある。
ここあんで、小さな人たちと過ごしていると、不意にひとりが絵本を差し出してくることがある。
「これ、読む?」と問うと、「うん」と頷くので、「じゃあ、読もう」と絵本を開き、読み始める。
すると次々に小さい人が集まってきて、私の膝の周りはすっかり取り囲まれてしまう。
私は親ではないけれど、この人たちはきっと「絵本を読んでくれる人」って思っているのだろうね。
こうなるとそれぞれ次に読んでもらう一冊をどこからか調達してその場に集うようになり、「おしまい」の声にさっと次の絵本を差し出す手際の良さ。
終わらないお話し会のはじまり。
何のためらいもなく私の膝にお座りする人もいて、「あら、あら」と嬉しい悲鳴。
次から次に差し出される絵本を読み、「もう一回」と声にならない眼差しでの訴えに応えるひととき。
絵本をじっと見つめる小さな瞳のその真剣さに驚かされながら、お話しの世界を共に旅する楽しさを満喫する。
子どもには「ねえ、読んで」と言える人が親以外にたくさん必要なんじゃないかな。
祖父母であったり、私のように定期的に出会うおばあさんであったり・・・
親も子も安心して過ごせる場や人があること。
「ここあん」がそういう場になれているのだとしたら、うれしいな。
「ねえ、読んで」
言う方と言ってもらう方、どちらも等しく幸せ。
対等で良好な人間関係がそこに生まれる。
親子とは少し立場の違う関係性がきっと子どもには必要なんだろうね。