満93歳、一人暮らしの叔母は、いつもうっすらとお化粧をし、髪を丁寧に結い上げて身ぎれいにしている。
耳に添う形のイヤリングも欠かさない。
「おばあちゃんの口癖だったが・・・いつでも身ぎれいにしておかないけんって」
「外へ出るときはいっつも綺麗な白足袋履いてなあ〜」
母親(私の祖母)のことを引き合いに出し話した。
そうだな、おさわばあさんはいつもきちんと着物を着ていた。
毎朝起きると寝床の中で独自の体操をした。
身体がほぐれると着替えをし、鏡に向かった。
衣類を汚さぬようにケープを掛けて髪を結う。
ひとつひとつに時間をかけてね。
紅をつけるようなことはなかったが、顔や手からは常にコールドクリームのにおいがしていた。
今思うと、おさわばあさんは自立した人だったんだ。
ほぼ一日自室で過ごしていたが、最後まで自分の毎日を自力でこなしていたもの。
新聞や週刊誌を隅から隅まで読む。
一日をスケジュールどおりに淡々と過ごす。
友達というような人などなく、老人会とかの集まりに参加するのを好まない人だったが、
自分の時間をひとりで楽しめる人だったんだろうなあ。
娘たち(叔母たち)に半ば強制的に与えられる任務(毛糸編みや裁縫など)をぼちぼちこなし、手を動かすこと、散歩することを欠かさなかった。
体調を崩して床につくようになり、最後のひと月ほどは娘たちに代わる代わる看病してもらいながら亡くなった。
自宅での大往生。
おさわばあさんは口数の少ない人だったが、肝心なところはちゃんとみていて、幼い頃の私に様々なことを教えてくれた。
ものを大切にすること、
食べ物を粗末にしないこと、
悪いことをすると己に帰ってくること・・・
暗くなるまで遊んで帰ると「ことりにさらわれる」と度々言われ
「小鳥がどうして私をさらうのか」と不思議だったが、あるとき気づいた。
「小鳥」ではなく「子とり」(人さらい)だと。
気づいたとたん恐ろしくなったのを覚えている。
幼い頃の記憶には、おさわばあさんの小さな身体とずんぐりした手と、息をフウフウさせながらおやつの用意などしてくれた日々が残っている。
私は長い間、このおさわばあさんと寝ていたんだっけ。
叔母は今、おさわばあさんの生き様に己を重ねつつ、身ぎれいにと暮らしているのだな。
えらいなあ〜。
一方、ほぼ同い年の家のばあちゃん
このところ毎日パジャマのまま[#IMAGE|S8#]
嫁さんの連日「髪、とかした?」攻撃にあい、髪の毛もじゃもじゃはなくなったが・・・
外へ出ないからってどうなの[#IMAGE|S15#]って思う。
さあて、そろそろ「お着替えしましょうね」攻撃を発してよいのでは[#IMAGE|S13#]と目論む。
かく言う私も未だ部屋着(寝間着とも言う)のままだったわ[#IMAGE|S12#]
えへへ。
誰のためでなく、己のために、身だしなみ、整えよう。