ここあん便り

遊べない子ども・遊べない大人

遊べない子どもって、増えているのか?
アナログゲーム体験会で、グループでの遊びが成り立たない場面を目の当たりにして、「え?」
お子さんの特性もあるし、たまたまそのグループがそうだったのかなあ、と思っていたが・・・。
つい先日はまた、異なるタイプの遊べないお子さん達の姿に、「ん?」
親子遊びの時間であるにも関わらず、全く遊ぼうとしない親子が複数、壁の花の如く、壁側に佇んでいる。
子どもは皆、親の膝の上。
ただただ、親の膝の上に抱かれて、話をするでも無く、じっと抱かれて遊びの時間を過ごしている子ども、子どもを膝に乗せ続け黙って時を過ごす親。
「?」
違和感を感じる私がおかしいのか?
どちらも年長児なの、”もやもや”する〜

子どもは遊びたい人たちで、いつでも、どんな時でも、遊びを求める存在だと思ってきたけど、遊ぶことより親の膝に黙って抱かれていることを選ぶ子どもの姿は、重大なことを教えてくれた。
子どもが安心して遊べる環境にないという現実。
まずは、親のケアが必要なのかも。
「やりすぎ教育」の著者、武田信子さんの記事にこんなのがあった→ 遊べない子どもたち

実はもう一つ、”もやもや”していることがある。
子ども向け工作ワークの場で、我が子以外に全く興味を示さない親の姿に愕然。
我が子には手出し口出しするけれど、すぐ目の前、50㎝ほどの距離の相手を全く見ない。
明らかに困っている子どもたちが目の前に居ても、まるで透明人間と同席しているような感じ。
小学生も困っているけど目を合わせてもらえない大人に助けは求められない。
気づいたスタッフがサポートに入った。
我が子にしか関わろうとしない親は、ごく普通の母親だ。
こちらから、その親子に「素敵なのができたね〜」などと声をかけてみるが、コミュニケーションに繋がるような期待する反応はなし。
知らない人同士の集まりだから?
どうやらそうではなさそう。

ある保育園ではこんな場面が。
親子の集まりの後、会場のセッティング変更のため机を動かしたりゴザを敷いたり、一人の先生がバタバタと動かれていた。
以前なら、このような場面で親たちは何も言わずとも手伝った。
・・・が、今回は誰もが黙って、先生の苦労する姿を見つめていた。
なるほど。
今は、「言われない(頼まれない)ことはやらない」という時代のようだ。

もちろん以前から、他者と積極的に関わろうとしない親は居ただろう、いろんな親が居て当たり前、それが良いとか悪いとかいう話ではない。
けれども、人と関わろうとする人たちが一定数居て、我が子以外の子どもたちに目を向けられる大人がちゃんと存在しているから救える子どもがあり、助けられる親があるのだと、私は思う。

”もやもや”を整理していく中で、私にできることが少し見えてきた。
もやっとしている場合じゃない!

「向かいの子どもたちを少し手伝ってやってもらえませんか?」
「一緒に遊んでみませんか?」
「ちょっとお手伝いしてもらえませんか?」
声をかけることで、変化が生まれるはず。

我が子以外の子どもたちに、目を向けられる大人を増やす努力をしていけば、子どもが安心して遊べる世の中に近づくような気がします。