子どもの、ありのままを受け入れるのはとても難しい。
受け入れたとして、果たして己の心を穏やにしていられるだろうか?
子己庵を開くとき、子どもを見つめつつ、己の心の内もしっかり見つめ直したいと願ったけれど、20年近い時間を経てもなお、心は思うに任せない。
そのまま、ありのままをただ、受け入れることの難しさよ。
ありのままを受け入れることについては、佐々木正美先生の著書や講演で繰り返し心に刻んできたけれど、私自身、実際にそうした人間に出会ったことがあるのか?
その問いについて、再確認させてくれた映画がある。
韓国映画「おばあちゃんの家」2003年の作品情報
言葉の話せない(出会ったこともない)おばあちゃんと過ごすことになった少年の話。
おばあちゃんは、決して怒らない、どんな時も心を穏やかにして孫にとっての最善を尽くす。
拒否され、馬鹿にされても、おばあちゃんは動じない。
すべてを受容し、淡々と生きる姿が美しい。
少年役(子役)が、大人目線では憎たらしくも思えるが、子どもらしくて私は好きだ。
ただし、わたしがおばあちゃんなら、「もう無理!」と投げ出してしまうかも。
わがまま放題だった少年に、おばあちゃんがかけがえのない存在となってゆくさまが胸を打つ。
子どもの近くに、誰か一人、そうした大人がいれば幸せだろうな。
映画のおばあちゃんの真似は無理だとしても、私にできうるやり方で、孫のそのままを受け止めてやれたらなと思う。
私にとって、よしおじさん(父方の伯父)がそうであったように。
親に叱られたとき、いつでも逃げ出せる場所があったように。
祖父母の役割について、深く考えさせらるなあ〜
このところ、小学校の読み聞かせでずっと読み続けている長谷川義史さんの絵本「いいから いいから」に出てくるおじいちゃんもまた、「ありのまま名人」だ。
いいから いいから

どんな災難が降りかかっても、「いいから いいから」とおじいちゃんは笑う。
全⑤作の連続絵本を、この二ヶ月、小学年に読み聞かせた。
S小学校では3年生、A小学校では4年生、計4クラスの子どもたちに。
①②③と三冊を持参し、10分の時間内で読めるところまで読んだ。
繰り返し「いいから いいから」を聞くと、読み終えた頃には自然に「いいから いいから」と誰もがを口ずさんでしまう。
読んでいる最中、何が起ころうと受け入れてしまうおじいさんに「え?」「まさか?」「マジ?」と思わず声をあげる子ども。
すごいな、おじいさん。
声だかに叫ぶでもなく、教え諭すでもなく、ただ何ごとも受け入れる「いいから いいから」と。
その姿が子どもたちに伝える力はいかほどか。
小学生に読み聞かせたのは初めてだったけれど、これは、小学生にこそ繰り返し伝えたい絵本だと実感。
受け入れること=戦わないこと。
「非戦」に繋がるメッセージが込められているのだなあ、きっと。
私にとって「ありのまま名人」への道のりは、まだまだ遠そうだけれど、絵本を読むことで子どもたちに伝えていくことならできる。
今日、出会った子どもたちに「いいから いいから」が何回出てくるかな?と問いかけておいたら、帰り際、「20回だった」と教えてくれた。
「いいから いいから」が、子どもたちの口を介して、どんどん広がっていくと嬉しいな。

