ここあん便り

聴く力、イメージする力

小学校の朝読ボランティアを楽しんでいる。
現在、二つの小学校に毎月1回ずつ、さまざまな学年の子どもたちと10分間絵本を楽しむ。
私は低学年が好みだけど、やんちゃな3,4年生や思春期の入口の5,6年生に読むときは、いつもと違う心持ちになれるし、孫たちもこんな風に成長していくのかと、今どきの子どもたちの様子は新鮮で、心の準備をする上でも参考になる。

昨日は2年生のクラス。
先月お隣のクラスで読んだ「ともだちや」を同じように読んだ。
ゆっくり読んでも7分程度のお話しだけど、ゆっくり丁寧に読めるし、絵も、みんなで観るのにちょうど良く、内容も分かりやすくて良かったと思う。
(3年生の教材として出てくるのだ聞いて、納得)

読み聞かせの後、報告と交流を兼ねてボランティア同士意見交換する。
忙しい時は報告のみで失礼することもあるが、昨日は時間に余裕があったので、お茶をいただきながらしばし歓談。
他の方がどんな本を選んでいるのか、実際に読んだ時の子どもたちの様子を含め報告し合うのでとても面白い。

長年ボランティアを続けて(20年くらい)いる人が、子どもたちの聴く力が弱まっているのでは、と話す。
ストリーテリング(素話)を5,6年生に語るとき、以前に比べ、分かりやすいお話し(レベルを下げて)をするようになった、と。
実際に子どもから「お話の内容をイメージできない」という声もあったと。

私たちが誰でも知っているだろうと思うこと(歳時記や風習など文化的なこと)を知らない子どもが増えていることも話題になった。
例えば大晦日の「除夜の鐘」「紅白歌合戦」を知らない、など。

話を聞きながらふと、以前読んだ「ルポ 誰が国語力を殺すのか」(石井光太著)に記載されていた、ごんぎつねを正しく読み解けない子どものことを思い出した。
(詳しくはコチラをどうぞ)
ごんぎつねの読めない小学生

この本を読んだとき、私はただただ驚愕したのだったが。
今、改めて考えてみると、受け止め方に変化が生まれた。
それは仕方のないことのように思えたのだ。
だって、お話しの世界の時代と、今では、生活スタイルが著しく変化しているし、実体験はもちろん、映像などによる仮想体験にも個人差の生まれる時代だもの。
葬式に、村の大鍋で煮られるものが一体何か、分からなくても仕方ない。
今、目の前にいる子どもたちは、人類の歴史上、最も急激な環境変化の中で育っているのだから。
今の子たちにとっての昭和は、私たちにとっての江戸時代位昔の感覚だったりするのかも?

では、「聴けない」「イメージできない」をどう考えるか、だが。
「聴ける子」「イメージできる子」が一定数いれば良いのでは、と思う。
みんなが聴けなくても、みんながイメージできなくても、聴ける子、イメージできる子が居なくなることはない。
たぶん…、そう信じている。

そして、今まで以上に伝える努力をしなきゃ!!。
その時に理解できなくても、イメージできなくても、後々「そうか!」って、言葉の意味が分かったり、はっきりとイメージできることって、あるからね。