ここあん便り

遊ぶ力とは?


イベントなどで、「これ、どうやるの?」
「これ何?どうやって遊ぶの?」
おもちゃを前によく尋ねられる。

かと思えば、
「ちがうちがう!こうでしょ!」
子どもの遊びを修正(正しい遊び方に)する大人や
「あ、これ見て、すごいよ、見て!!」
夢中で遊んでいる人(子ども)にお構いなし、自分の見つけたものを子どもに見て欲しい親、増えてる?

遊び方を尋ねられれば、もちろんそのおもちゃで出来ること、楽しみ方など、お教えはするけれど…
基本、遊びは、その人の思うように、やってみたいようにすれば良いのでは?
それと、大人が気をつけたいのは、遊んでいる子どもの邪魔をしないことでは?

かつて、大人が子どもの遊びに口を挟むことがあっただろうか?
危険な様子を見受けたときは注意し、使ったもの、使った場の原状復帰をちゃんとさせるなど、遊びそのものに介入することはなく、遊びには責任も伴うことを教えたと私は理解している。

とは言え、時代が変わり、子どもを取り巻く環境も様変わりした今、遊びに大人が介入しないでいることは難しい。
赤ちゃん期から、子どもにとって最も身近な遊び相手が親になってしまったから。

さて、では遊び相手の親、大人は子どもとどう遊ぶ(関わる)のが良いだろう?

今、子育て支援センターをはじめ、出かければ楽しいおもちゃで遊べたり、手助けしてくれるスタッフさんがいる。
図書館などの公共施設も子ども連れにウェルカム。
結果、家にいたら退屈、家の中で過ごすことが苦痛、煮詰まる…という方も多かろう。
それを承知で、あえて言わせてもらうとしたら…

子どもは本来「遊ぶ力」を持っています。
特別なおもちゃがなくても、日々の暮らしの中に、遊びはあふれていますよ〜
だから、「お出かけしなきゃ!」「遊んでやらなきゃ」と無理しないでね!

私は、ここあんにいるとき、家で孫と過ごすとき「遊んであげなきゃ」とは思わない。
小さな人には、興味を持ちそうなおもちゃを出して、「どうですか?」って反応を見る。
ドンピシャで遊びだしたら「よし!」
ポカン、としているときは幾つか別の提案をしてもみるけど、「おもちゃじゃないんですね」と積極的な働きかけはやめる。
遊びたいとき、遊んで欲しいとき、大抵子どもの方から訴えてくるからね。

遊びの主役は子ども。
何を求めているか、何を面白がっているか、お子さんの様子をまずはじっくり観察して欲しい。
な〜んにもしなくて、見つめ合っているだけでも、お子さんにとっては遊びですからね。

孫たちが家に来たとき、私は遊びのきっかけになるような手助けをする。
もっぱら紙を破るとか丸める、お絵かきや工作などだけど、面白がって取り組み始めたら、私は私の仕事をしながら助けが必要な時、更に遊びが広がりそうなヒントを出したりするかな。
お店やさんごっこ、基地ごっこになったりするのを眺めながら、「あ、良いこと思いついた♪」って、言葉が出ると、しめしめ…と思う。
(おもちゃ屋なのに、案外おもちゃで遊ばない…そして孫の帰った後はゴミの山)

さて、あれこれ偉そうに書き連ねてみたけれど、子どもの遊びを大人がどう保障すべきか、どう関わるのが良いか、お子さんによっても違ってくるし、その答えを私はまだ見つけていない。
しかし最近こう考えるようになった。
それぞれの家庭でできることには限界があり、子育て中の皆さんの個人的努力ではどうにもならないところにまで来ているのではないか?と。

世の中には、子どもが本来持つ、主体的に遊び込む力を損なうようなおもちゃが多い。
テレビゲームなど、設定された遊びや動画視聴を否定するつもりはないが、そればかりを遊びの時間に費やすと、誰かがお膳立てし設定したプログラムの中でしか遊べなくなってしまうのではないかな。
結果、ここあんにあるような、黙っているおもちゃ、おもちゃの方から決して働きかない優れたモノたちを前に、「これ、どうやるの?どうやって遊ぶの?」と、遊びのスイッチを探すことになるんだろう。

おもちゃ屋が言うのもどうかと思うけど、本当はね、おもちゃなどなくても子どもは育つ。
ただ、良いおもちゃがあることで遊びが生まれ、遊びが広がる。おもちゃとは、子どもの遊ぶ力をサポートする優れものだから。

どうか、大人の皆さんにお願いしたい。
子ども自身の「面白いを見つける瞬間、楽しもうとする心、遊ぶことに集中できる時間、場」を確保してあげてね。
決してお子さんたちの遊びを邪魔しないで!

「子どもの遊ぶ力が目覚める」その瞬間の目撃者になってもらうことを切に願います。

最後に、
子どもに関わる時間、余裕、場を持てない親や家族を、孤立化させない地域、社会への取り組みをどう進めるか、それを一緒に考え、実行していける人、募集します。