ここあん便り

贈る楽しみ

プレゼントを贈り合うこと、それが家族や友人間での文化になっているとしたら素敵。
ほら、お誕生日やクリスマスにプレゼントを贈り合う夫婦って、できもしないけど憧れる〜

我が家では、誰に対しても、お誕生日や記念日にプレゼントを贈るとか、もらうってことはしなくて、ご馳走やケーキを囲んでみんなでお祝いして終わり。
特に息子たちは小さい頃から、ことあるごとに祖父母から(両家の)おもちゃを買ってもらい、お小遣いをもらっていたし、必要なモノを随時整えられる環境に育ったこともあって、誕生日だからと言って私たちからプレゼントを贈ることはなかった。
私としては、本人のリクエストに応じてご馳走を作り、お誕生日ケーキを作るのがギフトのつもりだったのだけど、それは食べてしまったら終わり、形として残るモノではなかった。

おもちゃ屋になり、お子さんへのプレゼント選びをお手伝いさせてもらうようになってから、贈り物への考え方が少し変わったように思う。
今、目の前のお子さんに必要なおもちゃを見極め、オススメするのと同時に、送り主の願いや思い、愛情がいつまでもおもちゃを通じて伝わり続けるようなチョイスもそっと伝えたりする。
「いつまで使えるかしら?」、そうした声に「大きくなっても側に置いておきたくなるおもちゃですよ」と自信を持って答えることができるのは、お子さん自身がそのおもちゃを見るだけでほっこり安心できるような、たとえそれが赤ちゃん期のお子さん向けのおもちゃであっても、みんなから大事にされた証として存在することを信じているから。

おもちゃ屋としては、良いおもちゃを年令ごとに揃えてあげられることに憧れはするけれど、そんなことのできる家庭は一握りにすぎない。
だから、たったひとつでも、ちょっと奮発して両親や祖父母が買い与えてくれる良質のおもちゃを、大事に使い続けてくれたら良いな〜
使い捨てにするようなおもちゃではなく、決して捨てることのできないおもちゃをね。

おもちゃではないけれど、亡くなった母がこの世を去るほんの少し前に私に託したひ孫へのプレゼントのことを思い出す。
私の母は、何の前触れもなく突然亡くなった。
その母が亡くなった年、12月に入る前から「ひ孫にクリスマスプレゼントを買って渡してやって欲しい」と私に頼んだ。そして、「もう渡してくれた?」と幾度も尋ねる。
その度に「クリスマスには渡すから」と返事するのだが、「クリスマスを待たなくても、早く渡して」と催促。12月半ばには連日のように「用意できた?」と電話してくるので、仕事の合間に大急ぎで二人のひ孫に色違いの可愛いベストを買いそろえた。
「ちゃんと用意したからね」と告げると「ああ、安心した」とその日から電話はこなくなった。
そしてクリスマスの少し前、19日、眠りながら亡くなった。

今、あの時のひいばあちゃんからの最後のプレゼント、色違いのベストは、5歳になった孫たちの小さな妹や弟が愛用している。ベストを着る小さい人を見て私は母を思い出し、息子夫婦は「大きいおばあちゃんにもらったベストだよ」と子どもに伝えている。
モノを贈るとき、必ず送り主があり、送り主の思いが添えられる。
そして、モノには、送り主の記憶までも纏い続けることを実感した出来事だ。

今夜はクリスマスイブ、子どもたちにサンタクロースからのプレゼントが届くだろうか。
贈る喜びを感じながら、素敵な夜を過ごして欲しいな。