ここあん便り

自分の時間

自由そうに見えるかも知れないけれど・・・。
案外色々なことに縛られていて自由でない私。
お役目で出かけなければならぬのを優先して、何とかやりくりしつつ家庭の平穏を維持しようとするから、自分自身のための時間はもっぱら家の中。
「家内(かない)じゃなくて自称”お外さま”」と言っていた時代が懐かしい。

かつて(四半世紀も前頃)認知症のおばあさんを介護していた姑(ばあちゃんね)に、「公民館活動とか、空いている時間に楽しいことやればいいんじゃない?」とすすめたことがあったが、「そんな気にはなれない」と言っていたなあ。
ばあちゃんが「今が一番楽しい」と言ったのは、大きなおばあさんを見送った後のこと。
ふれあい(地域の高齢者の集い)に通うようになってからだ。
あの頃のばあちゃんは生き生きしていた。
まるで女学生のように「友達」と出会う日を楽しみにし、「友達」とのおしゃべりに夢中だった。

その立場になってみないと分からないことってあるんだね。
今の私には、昔ばあちゃんが言った「そんな気になれない」という心情が良く分かる。
優しい言葉を掛けたり、かいがいしく世話を焼くような、そんな介護は私にはできないけれど、一つ屋根の下に暮らし、食事や身のまわりの必要最低限の手助けを毎日、毎日続けているうちに、私の心は何ものかに束縛されていくみたい。
自分のための時間を作って外へ出かけてみようなど、はなから諦めてしまうような、そんな心境。

今、かつてのばあちゃんと同じような心持ちになっている私のことを、当の本人(ばあちゃん)は一体どう思っているのだろう。
あの頃、時に声を荒げたりなどしながら大きなおばあさんと向き合っていた元気の良かった時代のばあちゃんを思い出す。
同じようについ大きな声になる私の中に、きっと昔のばあちゃんがいるんだろうな。

FBを見ていると、楽しそうなワークショップや展示会、コンサート等々イベント満載。
美味しそうな画像、ためになりそうな研修会の様子・・・心惹かれ、アクティブに行動する人々を羨ましく思いつつ眺めている。
何だか、自分だけが取り残されているような、そんな気持ちになってしまう。
もし、ここあんがなかったら、病気になっていたかも知れないね。

うつうつとする自分が嫌でならないこの頃。
今考えているのは、なんとか自分の心を自由すること。
自分で自分を窮屈にしてしまっているのだとしたら、緩める術を見つけたい。
誰かのせいで自分の時間を失うなんて、もったいないものね。