映画「玄牝」、老子の言葉からそのタイトルをつけられたようだけど・・・。
この言葉の意味を理解するのはムズカシイ。
若い方(参加者)が多かった映画会。
感動して涙を流しておられる方もあったわねえ。
私はね、ちょっと(いえ、だいぶかな)恥ずかしかった。
女性(母性)としての歓びはそれぞれがひっそりと感じていればよいと思うから。
今は、見せたり語ったりを敢えてしなければならない時代なのかもしれないが、
やはり秘められていることの良さがあるように思うわね。
だから、古い世代のひとりの女性として、居心地の悪さを感じた。
しかし、古民家が学びの場となっていてそこでの穏やかな時間の流れ、母親たちの人間らしいいきいきとした表情を切り取った映像は美しかった。
特に、臨月の妊婦が薪割りをするシーンには見とれてしまった。
すっごく、かっこいい〜!!
「自然」を切願し、度々口にする母親たちの、日常の息苦しさが伝わる。若い人たちは一体、どれほど追い詰められて生活しているのだろう。
もっと気楽に生きられればいいのにね。30代の女性の生きづらさを表した映画でもあったように、私には思えた。
助産師さんたちの心の葛藤。一種のブームのようになってしまう現状への危惧。
実の娘と老医師との関係。これをあえて映像におさめたのは何故だろう?
他院へ搬送され手術に至る場合や死産のケースなど、そういう場面にこそ医師としての役割が求められるように思うのだが・・・。「匙を投げる」的な印象を受けてしまう。
しかし老医師自身も苦悩の中にいるんだね。
こうした場面について考えを巡らすことがきっと大切なんだ。
映画はそれぞれの見方で楽しめばよい。
けれどどうか、「よい(理想の)お産」で生まれた子どもだけが可愛いとか、お産が上手くいかなかったから子どもが愛せない、などということは決してないということを、誤解されることのないように願っている。
老子の言葉の本質を理解できぬまま、消化不良状態の私。