4番目の孫(2歳4ヵ月)を見ていると、その心持ちが手に取るように分かり、もっぱら私は上の孫(姉6歳)との間に入って通訳を兼ねた仲介役に徹する。
姉弟のもめ事は日常茶飯事で、子どもにとって学ぶ機会となるなどとして、キョウダイゲンカは大人が介入せず放っておくのが良いという意見もあるけれど、元来平和主義者の私は、大声で相手を威嚇したり、時に手が出るような様を、苦しすぎて、黙認できない。
なので、なるべくもめずに済むように、年齢差のある子ども同士が楽しく遊べる手助けを心がける。
6歳姉はお店やさんごっこにハマっていて、「ご注文はお決まりですか?」と注文とりにやって来る。
ケーキを綺麗に並べて、「どれになさいます?」「お飲み物はいかがですか?」って。
こうした時、2歳弟に期待されるのはお客さん役なのだが、その願いは通じない。
2歳児は、とにかく6歳姉と同じことがしたい、6歳姉のお手伝いをしたい気持ち満々。
これを放っておくと、6歳姉の「やめて!さわらないで!!」の声がエスカレート、ケンカの勃発!
一度こうなってしまうと、双方の思いを主張し合った果てに衝突、どちらかが泣き出し、親に泣きつくと誰が悪かったのかという裁判に発展しちゃう。
どっちも悪くはないのに「ごめんなさい」を言わされることも。
色んな考え方、親としての関わり方があって良いと思うけど、私は「ごめんなさい」を言わせるのは好きじゃないな〜
息子たちが小さい頃、「ごめんなさい」を言わせるより、私自身が「ごめん、ごめん」と誤ることで納めてきたように思う。(見ていなくてごめんね、お手伝い(遊びの)できなくてごめんね…という意味での、ごめん)
お店やさんごっこブームは続いている。
私は6歳と2歳の間で、2歳にできるお手伝いをサポートしつつ、遊びが楽しく広がっていくように見守る。
つい先日は、6歳がキラキラの包装紙で綺麗に包んだ「虹色ケーキ」の包装を、2歳児が触りたくて、触っているうちに剥がしたくなったみたいなので、「これはネエネが作ったのだから止めようね、こっちをどうぞ」と、同じくキラキラの包装紙のオーナメント(分解しても惜しくないやつ)を手渡した。
器用に包装を外すと、中から真四角の発泡スチロールが出てきた。
「あ、角砂糖みたい!ネエネがお店で使うかも知れないよ。」と言うと、ネエネの元へ「どーじょ」と届ける。
以後、片付けの途中だったツリーに残っていた同じオーナメントを取ってきては剥がし、ネエネの元へ。
角砂糖を受け取るネエネは、その度に「ありがとう〜」、その「ありがとう」が嬉しくて、大喜びで繰り返す弟。
やがてツリーのオーナメントがなくなり、「ない!」を連呼する弟に、カフェのコーヒーに角砂糖を添えて配達に忙しかったネエネが、「探してあげる」と助け船、「ほら、ここにある!」「ネエネが取ってあげようか」とお手伝い。
こうして楽しく遊べる二人を見ていると、心底嬉しい。
2歳児には、役割がまだ良く理解できない。
6歳児がイメージを広げてごっこ遊びを楽しもうとするのを、邪魔されたくない気持ちもよく分かる。
今しばらくは、双方の思いをくみ取りながら、通訳しつつの仲介役が必要なんだろうね。