ここあん便り

当たり前のことにしたくない

私は「ゲンジツ」を知らないんだなあ〜と思う瞬間がある。

こどもに関わることをしているし、子育ての現場も理解しているつもりなんだけど、
例えば、イマドキの子育てや貧困の現場などについて、目の当たりにしてはいないからなあ〜
ここあんに来る人たちは、いろいろな意味で余裕があり、子どもとの暮らしを楽しめる人たちである。
多少の問題はあるにせよ、概ね「順調、大丈夫」って言える範囲。
今日、ハッとさせられたゲンジツは、出先のカフェでの光景だ。
午前のわらべうたの会から次の予定へ昼ごはん抜きで出かけた私は、午後一の仕事を終えて次の予定までの間に何か食べておこうとカフェに入った。
注文し、席に着くと、椅子を一つ挟んだ向こうに一組の親子の姿があった。
赤ちゃん連れのその親子を見た瞬間、「え?」と思った。
その方(母親だろう)は、抱っこ紐(がっちりしたベルトタイプ)の中でスヤスヤ眠る赤ちゃんを抱いたままカフェの椅子に座っていた。
赤ちゃんは4、5か月かな?
赤ちゃん連れでカフェにいることに驚いたんじゃない。
その人は、カフェのテーブルにパソコンを広げ、その横にスマホを置いて、赤ちゃんを抱っこしながらキーボードをパチパチ・・・、スマホをスルスル〜。
カフェでお仕事しているビジネスマンのよう。
それが、特別なことでなく、彼女の日常のなのだというふうに、ごく自然に私の眼の前で続けられていることに、ドキマギしてしまった。
空のお皿とカップがあるところを見ると、軽食を済ませ、今はお仕事モードなのかしら?
その人は、私がぼんやり周りを眺めていたり、注文したものを受け取ってもぐもぐ、ごくごくする間、たった一瞬もこちらへ視線を向けることをしなかった。
時折、赤ちゃんの顔を覗き込み頭を撫でたりゆすったりはするが、私がそこにいた30分ほどの間、彼女の視線は全てモニターに注がれていて、周りの世界をシャットダウンしているかのようだった。
都会の電車の中で、大勢の人が同じ場所で同じ時を過ごしながらも他人を視界に入れぬようにスマホの画面を見つめ過ごすような感覚?
急ぎの仕事でもあったのかしら?
それとも、向かいのテーブルの人は見えないけれど、ネット上ではリアルなコミュニケーションが繰り広げられていた?
カフェを出てからも、その光景が頭から離れない。
良いとか悪いとか、そんなことではなく、
そのゲンジツを受け入れられない自分がいて、そのゲンジツを当たり前のことにしたくない自分に気づいた。
一体何を受け入れられないのかは、未だ整理できていない。