リビングとキッチンとを隔てる折りたたみ式のドア(アコーディオンドア)、
私はキッチン側にいて、そのドアに背を向ける形でダイニングテーブルに座りパソコン作業中。
背中の壁の向こうから、ゴホン、ゴホン…悪そうな咳音が聞こえる。
壁の向こうは、悪い風邪(コロナ)に罹患した連れ合いが占領中。
どうにもならぬ仕事があるらしく、罹患翌日、仕事場から専用パソコンが届き、療養&在宅ワークをここですることになった。
で、結果隔離したい患者が家の中心に居座ることに。
寝室は2階なので、リビング(1階)と寝室を行き来する患者。
「トイレは2階、洗面も2階のトイレで我慢して下さい」
私の生活空間を死守するためキツく言い渡し、1階の和室(かつてのばば様の部屋)とすぐ隣のトイレの通路に孫の椅子を置いて、とおせんぼ。
これで、果たして私自身を守れるのだろうか?
今のところ、感染した様子はなし。
キッチンに居ても、折りたたみ式のドアだもの、隙間から悪いウイルスがジワジワと忍び寄って来るようで何だか落ち着かない。
ガムテープで覆う?とか、考えないでも無かったが、廊下へ出ればそこはすでに不潔区域、出入りする度に空気中の種々雑多な菌やウィルス共々「いらっしゃませ〜」な状況なんだからさあ、もうあとは、己の免疫力を信じて、できうる感染防止に努めるほかない。
夕食後、普段ならソファーでテレビを観ながらうたた寝するのが常だけど、うたた寝する場を失い、パソコン眺めるのにも疲れ、ひとりゆっくり湯船に浸かり、温もったからだでそのまま布団に入ることにした。
ばば様の部屋には何もないが、ばば様の使っていたベッドだけを残してあるので、病人の隔離にはもってこいなのだ。トイレもすぐ隣だしね。
つまり、私が隔離されているみたい。
9時にベッドに入り、本を読みながら、今の状況を考えるとはなしに考えていたとき、「あ!」
そうか、そういうことか、ふいに頭に浮かんだ合点のいく言葉。
「床もなければ、壁もない」
今、私は何かを遮ろうとして壁や扉で己のテリトリーを閉ざそうと必死になっているけれど、そんなこと実際には不可能で、壁があったとしても無いに等しいではないか。
「床もなければ、壁もない」は、ここあんで原画展開催中の、ねっこかなこさんの「産む時代」にある言葉だ。
これを私は、床も壁も無い(に等しい)住まい、という意味かな、と(古い茅葺きを)想像していたのだが、もっと深い意味が込められているのでは、と気づいた。
暮らしに隔たりを作らない。
そもそも人も自然の中の一部なのだから…。
考えれば考えるほど、深い言葉。
さて、私はというと、罹患者がひとり増えて、いよいよ「床もなければ、壁もない」暮らし継続中。