猟奇的とも言える犯罪が起き、その被害者が判明してまたさらにその特異性に驚く。
彼女たちを守るすべはなかったか。
今後同じような事件が繰り返されないようにするにはどうすべきか。
大人の姿勢(覚悟)が問われている。
一つには、感覚を鈍らせないことではないかと思う。
誰かが何かしらの困難に遭遇している時、「何か変だぞ」と周りの人が察知できるかどうか。
子どもなら親が、大きくなれば仲間が、「あれ?いつもと違う」って気づけること。
また、子どもの側の問題として、「ひとり、孤独な時間を過ごす」経験が不足しているのでは?とも思う。
安易に誰かを求める前に、己と向き合うことを思春期にちゃんと経験してきたか、ということ。
そして何よりその前に、子どもたちが「根拠のない自信」を備えているかどうか。
自己肯定感と言われるもののこと。
また、「なんとかなるさ」と気持ちを切り替える力を持っているかどうか。
そうした心の持ち主になるには、幼い頃に構築すべき親(またはそれに代わる人)との「基本的信頼関係」と、周囲の大人に見守られる中で育つ「自分を好きでいられる気持ち」、或いは「安心できる居場所」があることが必須。
それを誰が保障するかというと、まずは親の役目だと私は思う。
最も大事な親の仕事じゃないかしら?
けれど、その大事な仕事を、果たすことができない社会を私たちは作ってしまったんだね。
一見、何不自由ない暮らしをしているように見える人たちが、「死にたい」と口にし、ネットの中に安易に「優しさ」を求めてしまうような現状。
それは全て社会(私たち)の責任。
今回の事件は、決して他人事ではない。
特異的な印象を受けるけれど、いつ、どこで起きても不思議ではない。
そんな危うい現実社会をいったいどうしたら安全に生き抜いていけるのだろうか。
このところずっと、彼女たちを守る手立てはなかっただろうか?と、自問自答している。