ここあん便り

何もできない一日が未来に繋がる

自分の足で自由に歩けるようになり、好奇心のままに動き続けるNちゃん1歳3ヶ月。

お母ちゃん、「ここあんまで20分かかりました〜(100㍍くらい?だけど)」と笑う。
そのNちゃんに寄り添う姿勢が素敵だなあと思いながら「一日が、何も出来ずに終わるでしょ〜」と話す。

我が身を振り返ってみる。
かつての私は、「一日でいいから誰にも邪魔されずに思う存分寝てみたい」とか
「家事や子育てから開放される日が欲しい」とか
小さな不満をくすぶらせながら日々暮らしていたように思う。
連れ合いに向かい、私だけが「毎日同じことの繰り返し」に甘んじていることを愚痴ってみたりもした。
もしかすると、あの頃の私と同じように子どもと過ごす毎日を疎ましく思う人があるのかもと想像する。
決して子どもが可愛くないというのではない。
何一つ自分の思い通りに運ばない日常に苛立ってしまうんだよね。
何しろ、「散らかす〜片付ける」の繰り返しなんだからね〜
私が子どもとの暮らしを少しずつ面白がれるようになったのは「乳幼児グループ」に入ってからだった。
(今も変わらず記録用紙を送るシステムを続けているようでちょっと驚き)
ひと月ごとに記録することで、子どものことを、俯瞰的に見ることが出来るようになったからかな。
(ただ、頑張る過ぎるタイプの方にはあまりオススメできないかも)
さて、そもそも動き回る子どもには見守ったり世話をする人が必要だから保育園に預けるわけだけど、保育士さんたちは他のこと(子どもから目を離す)をしようなど考えないで、子どもに寄り添って一日過ごす。
それが仕事だものね。
一方、家で子どもを見ている人は、子どものことだけに専念してはいられない。
・・・で、「何も出来ない」と苛ついてしまう。
つまり
「何も出来ない」のは当たり前!
子どもが怪我したりしないように、見守るだけで上出来だわ♪
ついでに言えば(ついでというか、ホントは一番言いたいことだけど)
ものすごい勢いで脳の神経回路を延ばし続けているこの時期の子どもの傍らに寄り添うことは何よりも価値あること。
うろうろに付き合おう!!
「(オトナにとって)何も出来ない一日が、(コドモの)未来につながる」
更に言えば
デジタルツールなどでじっとさせてはもったいない!
連日脳科学者のオンライン講座を受けて私の脳も興奮気味。