愚痴るほどではないけれど
「どう老いていくべきか」を突きつけられる日々
数年ぶりの介護認定調査を前に
長老様はこのところ絶好調
好調・不調の見極めは表情と日々の過ごし方
不調の時はどことなく目の焦点がウロウロしており
一日じゅうぼんやりと過ごす
好調の時はちゃんと目が合い
テレビを観る
新聞を読む
私は日中、留守する時間が多いので
週二日のデーサービス以外はひとりで留守番
(留守番が出来るのはすごいことなんだろうな〜)
不調時は誰が来ても(ピンポン鳴っても)気づかない
好調だと宅急便を受け取っていたり
電話に出たり・・・
お弁当箱(お昼の)を洗っていたり
今朝も「今日は金曜か、木曜だとばっかりおもっちょった」と
(毎日、曜日を見事に一日勘違いしていたと自己主張?)
好調のしるし
夜10時「今日は風呂はどげだったかいな、薬は飲んだかいな?」と
(規則正しくお出ましに)
5分おきにトイレに行き、出たり入ったりをしばし繰り返す
夜はやはり不調気味か?
さてここからが大問題
長老様の好調を歓迎しない心の狭い私
高齢者の老いへの道のりには波がある
たとえ今、意識がシャンとしていたとしても
明日は全く異なっていたりするのだ
トイレ、洗濯物のチェック、特別食の準備・・・
介護の苦労と呼べるほどのことではないかも知れぬが
365日、同じ屋根の下で暮らすことを
もはや喜べない自分
そのことがどうにもこうにもやるせない
人生の最後
「長生きしてね」と願ってもらえる人になるには
まず自らがそう願える人にならなければと
思うのだが・・・
これも私に課せられた課題かしら