ここあん便り

ゆらゆら〜、ぴょんぴょん!

パリオリンピックを見ながら、人間の身体と心を思う。
短距離走の記録を眺めながら、人間は、一体どこまで早く走れるのだろうか…限界は無いのか?
格闘技の選手が試合前、一様にゆらゆら身体を左右に揺らすことの不思議。
或いは身体を手でパンパン叩き、気合いを入れる水泳選手たち、目を閉じて集中力を高める様子など。
競技の結果云々以上に、ひとり一人の選手の姿から伝わるものがあり、オリンピックでもない限り、私のような人間が、こうして様々なスポーツをじっくり見ることなどないのだから、有り難い限り。

そしてまた、選手や関係者の喜怒哀楽を共有できる瞬間を求め、つい夜更かししてしまうのだ。

今回のオリンピックで、私は特に銅メダルを獲得した選手達にリスペクト。
決勝戦に敗れ、或いは敗者復活戦から勝ち上がるなど、敗者を体験した上でつかみ取るメダルの尊さたるや、思わず「よし!」「おめでとう!」と拍手せずにはいられない。
銅メダルが決まった瞬間は、独特だなと思う。
誰もがその場で一瞬放心状態、安堵の表情を伴った歓喜に包まれ、やがてこみ上げる万歳やガッツボーズ。

様々な重圧をその身体と心に引き受けながらプレーするアスリート。
画面越しに見える姿、表情には、背負っているものの大きさを垣間見ることができるが、それはプレーをやり終えた時の姿、言動からぽろぽろとこぼれ落ちてきて、私たちの想像の及ばない次元での苦労だったことを思わせる。

またある場面では、そうした重苦しい空気とは異なり、ただただ喜ぶ選手の姿にも度々触れる。
一流のアスリートが子どものように、ぴょんぴょん跳びはねて喜ぶ姿は、いつ見ても微笑ましくニンマリしてしまう。
人は誰でも、嬉しいとき、身体が自然に飛び跳ねてしまうんだね。

今回のオリンピックで私が気づいたのは、スポーツ=身体表現に他ならないということ。
今さら?って自分でも思うけれど、勝ち負けや記録という結果以上に、伝わるもの、心に響くものがあること。
それこそがスポーツの本当の面白さではないかしら。
世の中にたったひとり、その人にしか表せない身体表現。
そこに価値があるのだろうね。

そもそも、メダルはとれずとも、オリンピック選手として試合に臨むこと自体すごいことなのだから、どの選手も尊敬するばかりなのは、言うまでもない。