おもちゃの素晴らしさを教えてくれた「木や」さんの閉店について、今なおショックから抜け出せないでいます。
ここあんにあるおもちゃやアナログゲームは全て「木や」さんで購入したもの。
お人形の「ハナちゃん」「カイくん」も、木やに通って仕上げました。
子どもの成長発達に応じたおもちゃ選び、手渡し方など、木やの皆さんが実際にどのように手渡しているかを目の当たりにして、「魔法みたい!」って思ったのを思い出します。
積み木遊びの大切さやその醍醐味を教えて下さったのも木やさんでした。
トランスパレントペーパーだって、いつか教えてもらおうとここあんの机の上に出してあるのです。
まだまだ、教わることがいっぱいあるのに・・・。
私ばかりではありません。
昨日、わらべうた”あぶぶ”に来たお母さんたちも「これからどこでおもちゃを買ったら良いんだろう」と途方に暮れていました。
そう、「途方に暮れる」とは、こういうことを言うのだなと、思い知らされるようです。
さて、途方に暮れつつ、別の感情もわき上がってくるのです。
よいものを扱っている良識ある店舗は何故か儲からないという現実に対する「怒り」。
(物事のとらえ方、表現には個人差があります。あくまでも私見です。)
「売れないものを売る店」と自ら断言しつつ商いを続けているおもちゃ屋さんもあるほどです。
そして、私もまた「ものが売れない」ことの片棒を担いでいたのではないかという「懺悔」の気持ち。
例えば、こども未来ネットワークの事業「トイボックス」。
良いおもちゃを知るため体験するために「貸し出し事業」というのをやっていますが、もしやすると「借りられる=レンタル」と捉えられてしまい、便利遣いされる可能性もあるわけです。
ここあんでやっているアナログゲームの貸し出しもしかり。
借りられるのであれば買う必要はない、と考える人がいてもおかしくありません。
もちろん体験したからこそ安心して購入するという方もあるのですが、「子育て支援」の名目で、様々なサービスを受けられる時代であることや、子育て世代の経済状況が厳しいこともあいまって、おもちゃの購入者は減っていることでしょう。
良かれと思ってやっていることが私たちの気づかぬところで思わぬ逆効果を生み出してしまう。
そういうことだってあり得るのです。
私は今やっと気づきました。
おもちゃを作る人、流通させる人、販売する人・・・、その人たち(その道のプロ)がいなくなって一番困るのは私たちであり、子どもたちなのだということ。
先日、チケットの値段について考えたときと同じ。
補助金をつかって参加しやすいよう価格を一度下げてしまうと、本来の対価に戻すことが難しくなる。
(アートスタートの参加費が一人500円でも「高い」と感じさせてしまう現実)
だからこそ、私たちはものの対価について、しっかりと考え見定める力を持たないといけません。
そしてまた、正当な価格「もののねだん」を知らしめることもNPOの役割なのかも知れません。
子どもに与えるものに関して言えば、その後の人生を左右しかねない影響力をもっていると私は考えています。
食べ物などについては、安全で安心なものを多少値段が高くても求める人が増えています。
そのように、良いものを見極める力と良いものを扱う人たちを応援することも、消費者としての大切な役割なのではないか。
木やさんに甘えてきた自分自身に気づき、何をどう恩返しできるかなと考えているところです。
最後に付け加えておきますが、「木や」さんの閉店は他事業に専念されるためだと認識しています。
子どもたちの成長発達を支える事業をしつつ、年中無休の「木や」をこれまで維持し続けて下さった「木やの皆さん」の努力に心から感謝しています。