ここあん便り

ひとり遊びのできる子に

県教委の事業、講師名が「乳幼児メディアアドバイザー」と変わり、新メンバーも加わって動き始めた。
4月から、県西部地域での講座をいくつか終え、新たな気づきや発見があった。

ある参加者(保護者)からの投げかけについて、考え続けている。

お話し(メディアとのつきあい方についての)はよく分かる(納得できる)。
けれど結局、メディアに代わるモノは無い。
色々提案されるが、メディアを使わない=親が子どもに付き合わうこと。
メディアは子どもが大人の手を借りず、一人で遊んでくれるから助かるけど、それに代わるモノを教えてくれない。

お子さんと一緒に遊ぶことが苦痛なのかしら?
聴いてみると、凄く楽しいという返事が返ってきてホッとした。
ただ、「ママ作って!」「ママやって!」と要求され続けることに疲れちゃったみたい。
確かに、「遊んでやらなきゃ!」という責任感は,親たちにとって大きな負担かも。

色々お話しする中で最終的に私からお伝えしたのは、メディアに頼らない遊びをお子さん自身が「ひとり遊び」できるようになるまでは、大変だけどお子さんに付き合う人が必要だということ。

と同時に、お子さん自身の「できた!」「もっとやりたい!」という気持ちが生まれるきっかけを作ってあげるのが、お子さんとの上手な遊び方ですよ、と。
そして、お子さんの年齢とその年齢の子どもが夢中になる遊びについて少しお伝えした。

子どもは,大人をよく見ていて理解している。
この人には甘えて良いけど,この人は要注意、みたいなこと。
それが遊びとなれば、「やって〜」とお願いして良い人、いけない人の判断基準となるのかも。
「遊び」とは、本来主体的に取り組むものだから、子どもの側から「やって!」の要求が続く場合は、関わり方を変化させてみる必要があるように思う。
そもそも、そのお子さん自身がやりたい遊びなのか?
或いは、完成形の遊び体験が多い場合、つくり出す面白さや本当の遊びをまだ知らないのかも?

デジタルメディアの遊びは完成形の遊びの最たるモノで、そこに入れば文句なしにすぐさま楽しめる。
遊園地や○○パークで過ごすこともしかり。

家族や仲間と、限られた時間、楽しみを共有できるのは幸せなこと。
決して否定はしない。

けれど、所詮誰か(他者)がつくった遊びツールにすぎない。
自分自身でゼロから生み出し、試行錯誤の末に作り上げる遊びの体験こそ、最も楽しく面白いことだと、私は信じている。
その体験こそが、生きる力、AI時代を生き抜く力になるのだから。

ここあんで扱っているおもちゃなど、木製玩具の多くが、遊びに正解のないおもちゃだ。
どう遊ぶかは、使う側の興味関心、思いつきに委ねられていて、おもちゃの方から働きかけることはない。
子どもなら、こう使うであろう、という成長発達段階に応じた特性を踏まえ、安全安心の素材、大きさで、お子さん自身が「できた!」を繰り返し実感できるように作られている。
世代を超えて愛され続ける木製玩具がロングセラーおもちゃである所以だ。
出しゃばらないおもちゃは、大人が出しゃばる必要が無い。
ただ、共に居て、「できた!」「あれ?うまくいかない」の瞬間を共感し、必要に応じてほんの少しの手助けをすれば良い。

「このおもちゃ、どうやって遊ぶんですか?」
親たちからよく問われ、「自由だよ」と答えるのだが、大人自身も「どうやって遊ぼうか」と考えてみて欲しい。
親自身が遊んでいるのを見て、お子さんが手を出してくるようなら興味のある証拠。
子どもに「ほら、見てみて!」と手本を見せるようなことはせず、子どもがどうやって遊ぶのかをじっくりと見守っていると、自ずと答えは出るはずだ。

小さいお子さんとの遊びは、お子さんのその時の気持ちに寄り添うことが一番重要で、大人が思い描く遊びのイメージを押しつけないようにしたいもの。

例えば、積み木で何かを作る筈が、ただただ長く繋げて遊ぶことに瞳が輝いたら、どこまで繋げられるか、繋げられる積み木を追加したり、障害物を取り除いて場所を確保したり・・・サポートすれば良い。
もう繋ぐモノがない、となったら、その遊びを発展させる方法を子どもと一緒に考えてみよう。

私なら、繋がった積み木を反対側から押して動かしてみるかな?
真っ直ぐ進めば最高に面白いけれど、ちょっと難しい。
ぐにゃりと曲がるのを楽しめるおこさんもあれば、曲がるのが許せなくて,直すお子さんもあるだろうね。

或いは、長い積み木の上に、小さな人形を乗せてみるかな?
色んなモノを次々に乗せはじめるお子さんがいれば、小さな車を走らせるお子さんもいるはず。

お子さん自身の「あ!」と思いつく瞬間が,遊びを共にしているときの醍醐味だ。
そうした「あ!」を繰り返すことこそが「遊び」ではないかと私は思う。

本当の「遊び」を知っているお子さんは、やがて「ひとり遊び」ができるようになり、メディアがなくても遊べる子どもに育ってくれるんじゃないかな。

最後に、おもちゃなどなくても,子どもは遊べることを付け加えておきます。これについては後日また。