ここあん便り

ないことで生まれる知恵・工夫

「洗濯機、なくても結構いけますよ」

先日、おむつなし育児参加者が教えてくれた暮らしぶりに驚いた。
テレビはもちろん、冷蔵庫もない(あえて持たない)生活なんだって。
それを、当たり前のことのようにご家族皆で楽しみながら続けているってことは、小さなお子さんとの関わり方やお子さん自身がとても落ち着いて遊び、自分の意思を伝えようとする姿勢からはっきりと感じられた。
テレビのない生活に憧れ続けているものの、テレビ・ゲーム好きの連れ合いを言い訳にして結局何台ものテレビが鎮座している我が家が恥ずかしくなった。
そう、あるから使う。
目の前にあるのに、それをないものとして暮らすのは苦しい。
便利な道具も、なければないなりに暮れせるのかもしれないな。
実際に停電になって、何もかも家電製品が使えないとなれば、それなりに工夫して暮らすほかないものね。
日ごろどれだけ楽させてもらっているか、便利に慣れすぎて、考えたり感じたりする機会を失っている事に気付くのだろうね。
私は日々、忙しい、忙しいと一体何を忙しがっているのだろう。
私が消費する膨大なエネルギーが一体誰の何の役に立っているのかを考えると、そのほんの一部さえも価値ある消費につながってはいなくて、自己満足のために使い放題しているのだとしたら、これはちょっとまずい。
何もしない方がマシじゃないかとさえ思えてくる。
むむむ。
考え始めるとどんどん自分の首を絞めていくことになるので、ひとまず思考を止め、「できる範囲で丁寧に暮らす」「道具に頼りすぎない」ことを自らに言い聞かせて気持ちを切り替えた。
そして気付いた、「あ、おむつも同じ。」
大人にとって都合が良くて、子どもにとっても快適(濡れてもお尻が気持ち悪くない)な紙オシメの登場で、排泄の自立へ至る「知恵や工夫」のチャンスを失ったんだ。
おむつなし育児を紹介する人間として、暮らしそのものをちゃんと見つめておかないといけんなあ〜