大きなおじいさんの初盆の時だっただろうか、ばあちゃんが迎え火のオガラを焚きながらぼそぼそ歌っていたのは。
「ボンサン ボンサン コノヒミテ ゴザイヨ・・・」
歌うというか唱える感じ。
今は迎え火も送り火も「初盆だけでええがな」ということで、しない。
「鳥取のわらべ歌」(柳原書店発行 日本のわらべ歌全集)にも、盆のわらべ歌が紹介されている。
「おじいさん おばあさん」
おじいさん おばあさん この明かりで きなはれ きなはれ
おじいさん おばあさん この明かりで いなはれ いなはれ
(仏迎えには、きなはれ、きなはれと歌い、仏送りには、いなはれ、いなはれと歌う)
珍しいのもとして、「チンカラマンダイ」と言うのも紹介されている。
チンカラ マンダイ スッカンカーン
16日の夕刻、仏送りに、田のあぜ道や川の畔で麦わらの束に火を付けて振り、太鼓や鉦を叩いて歌うらしい。(中山町での採譜)
実際には、見たことも聞いたこともないけれど、何だか不思議とその光景が目に浮かぶ。
浴衣を着た子どもらが、大人に手を引かれてたんぼのあぜを歩き歌う姿が。
チンカラ マンダイ スッカンカーン
チンカラ マンダイ スッカンカーン
KUさんのブログに、盆には縁側に仏さんの足洗用桶(水を入れて)を置くというのがあったけれど、こういう風習は一度止めてしまうとそれっきりになってしまうから、なるべく続けたいね。
「メンダナコトハ ヤメリャ エガナ」と、ばあちゃんはしきりに言うけれど、ちっとも面倒じゃないのにね。
「迎え火の歌、うたってみて」とせがんでみるが「ワッシェタワ」・・・とつれないばあちゃんから、ひとつでもふたつでも、引き継げるものを引き継いでおかなきゃね、とつくづく思う。