ここあん便り

あっぱれな発言(言葉)

NHKドラマ「坂の上の雲」再放送を楽しんでいる。
明治という時代を、3人の若者の成長を通して実感できる見応えのある作品だ。

先回の放送では、主人公たちの東京での生活が描かれていた。
松山から上京したばかりの真之が物置小屋で兄(好古)と質素な暮らしをする様が面白く、ニヤニヤしながら観てしまった。
身辺を単純明快にしておくのが好古の信条であり、茶碗はひとつ(二人暮らしなのに)。
初雪の積もった冬の朝、「東京は寒かろう」と母から送られた足袋を嬉しそうにはく真之に「贅沢じゃ、脱げ!」と兄のひと言、「はい!」と素直に脱いで出かけようとすると下駄の鼻緒が切れ、急ぎすげ替えようとするも
「何をグズグズしている、はよゆけ!」
「下駄が…」
「裸足でゆけ!」
「はい!」片足は素足のまま雪の中を駆け出す弟。
尊敬して止まない兄とのやりとりが誠に微笑ましい。

またある時、真之は師と友と横浜での回航船引き渡し式を見物し、その圧倒的な大きさ、英国乗組員の姿に驚くのだったが、後日、その様子を報じた新聞に見入っていると、「お前には、まだ早い!」と兄は取り上げ破り捨ててしまう。
自分の考えができて(定まって)いない者が、目にする必要はない、余計な情報に惑わされるだけだ、という意味だろう。
真之は破り捨てられた新聞を、障子の補修に使った。

質素倹約しつつ、弟を松山から東京へ呼び寄せ、勉学の道を後押しする兄である。
子どもの頃、生まれたばかりの真之が寺へやられる(口減らし)のを阻止したのも、この兄であった。
この兄の「おまえには(新聞は)まだ早い!」というひと言が、なんとも爽快、痛快。
忘れられないひと言だ。

今、自分が今何をすべきか、或いは何者であるかさえ考える暇さえなくしつつスマホをみている思春期の子どもたちに必要なのは、好古のような真の愛情なのでは?。
それが伝わっていればこそ、どんな言葉も(たとえ不条理なことであっても)受け入れることができるのだろう。
違うかな?

次回も楽しみだ〜。