ここあん便り

庵主ひとりごと
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孫力

92歳のばあちゃんは、もしかして私に甘えていいるのではないか?そんなことに気づく。は〜、へ〜、ふ〜、アイタタ・・・[#IMAGE|S15#]「具合が悪い?」と問うと「○×・・・ほにゃ・・・はにゃ・・・フガフガ」か細い声で、聞き取れぬ言葉をつぶやく。しばらくして、息子(孫)がやって来ると「○○ちゃん、来てや」と別人のように晴れやかな顔で声を掛ける。ぬぬぬ・・・。腰痛→痛いから動かない→寝てばかりいる→筋力低下→筋肉痛→痛いから動きたくない→なお一層筋力低下もはや叱咤激励だけでは悪循環を断ち切ることは不能とみて、介護認定を受ける手はずを整...

節分

節分。豆は美味しいけれど、もはや食べきれる数(年)でもなし。(家族3名の年の数を合わせると・・・何と214[#IMAGE|S5#])豆ご飯(大豆で)でもこしらえようか。昨日のメディア講座はお子様連れでしたので、最後におまけのわらべうたをしました。お家の人の膝にだかれ、手足の指を小指から順にコロコロしてもらいます。♪ちっちゃいまめ こーろころ  ちーっとふくれて こーろころ もちっとふくれて こーろころ もちっとふくれて こーろころ こんなにふくれて こーろころ小さな人たち、とろけちゃいそうな表情でしばし抱かれておりました。最近の豆は食...

だるまちゃん

加古里子さん作、だるまちゃんシリーズの最新作を入手して良い気分。「だるまちゃんとにおうちゃん」だるまちゃん誕生から50年ですって。すごいなあ〜。こんな音頭まで出来ていたなんて[#IMAGE|S12#]ちょっと真似して踊りたくなっちゃった。...

書きかけの日記(2017年)

記事の下書き(未公開の文章)を眺めていて見つけちゃった。 おもちゃ屋を開こうと目論んでいたときの私がいました〜 タイトル「その時」 (2017年1月29日の書きかけの日記) 元来「横着」な人間だから、毎日コツコツと同じことを積み重ねていくことが出来ない。 同じモノを作り続けることとか、すごく苦手。 上手く出来てもいないのに、違うモノを作りだがる。 お稽古事をはじめ、何でも長続きしたためしのない私。 子どもに関わる活動(NPO ・ ここあん)と文章を書く(ブログ・エッセイ・小説)ことだけは続いていて、不思議。...

子どもの言葉

FBで、子どものいじめについての記事を目にした。「しんでよね」「しね」と紙や机に書かれたりしたのだって。「ある意味、子どもは残酷」などと言いますが・・・。それはきっと、思ったことをストレートに口に出すことがあるからだろう。「きらい!」「あっち行って」「もう、遊ばない」とか。大人の目から見ると「そんな風に言わなくても」って感じることもある。でもその言葉の裏側に「大好き」「一緒にいて」「遊びたいんだ」って感情があるってことは、ちゃんと分かっている。「しんでよね」という言葉。果たしてその言葉の裏側に、善意の感情が潜んでいただろうか?言われた...

わたしの時間

先日、若きジャズピアニストの演奏会に出かけた。息子の同級生ということもあり、夫と二人出かける予定だったが、結局仕事が入って行けなくなり、私一人で出かけた。一人で出かけるのには慣れている。演奏会やお芝居。遠くまで出かけるほどの愛好家ではないが、鑑賞の機会は少なくない。お役目で出かけることも多く、お役目、というのは、主催する側の目線、ということだが、そうなると心から楽しむことは、なかなか難しい。さて、今回のジャズライブ。はじめの方こそいつもの癖で「雑念」が浮かんでは消え、していたのだが、やがて様々な雑念は全て払拭された。息子の同級生だとか...

てわるさ

大雪により、おこもり中。晴れ間に雪かき、時折ラジオ体操、仕事すれば良いのに仕事には集中できず、つい手わるさです。耳までこっぽり・・・の帽子。これで雪かきも寒くないかな。

この冬はじめての本格的な積雪。どうやら今日は一日、降り続きそうです。雪が降ると、子どもの頃を思い出す。雪は遊び相手でもあったけど、時に全く様子を変えて襲いかかることもあり、大好きだけど恐ろしい、特別な存在だったからでしょうか。お空の上からはかなげに舞い降りてきたかと思うと、じゃんじゃんどかどかと落ちてきたり、手のひらで受けるとすぐにしずくになってしまうのに、みるみる積もって何もかも真っ白に覆い隠してしまう様はまるで魔法のよう。刻々と姿を変え、人々を翻弄し、やがて消えてしまう。雪の記憶には必ず大人の姿がともにあって、例えば・・・雪の積も...

ねえ、読んで

幼い子どもが親に「ねえ、読んで」と絵本をねだるとき、「こっち見て」とおんなじだって誰かが言っていたけれど、ホントにそうだと思う。「だっこして」とか「そばにいて」とか、「一緒に遊ぼう」・・・そういう気持ちでもあるのだろうね。絵本を読むとき、親はやりかけていた全てをやめなきゃならないのだからね。大好きなお母さん、お父さんを独占できる時間。「ねえ、読んで」はその時間を求める声だと思う。一方で、親以外の人に「ねえ、読んで」とねだることもある。ここあんで、小さな人たちと過ごしていると、不意にひとりが絵本を差し出してくることがある。「これ、読む?...